死刑制度をスピリチュアルな視点で考えると
みなさんこんにちは!
9月に入りましたが、まだまだ暑さは落ち着きませんね。
季節の変わり目ですので、くれぐれも体調にはお気付けください!
早速ですが本日のテーマは少し重たいですが、死刑制度についてです。
つい先日もオーム真理教死刑囚の死刑が執行されたとのニュースが様々な番組で取り上げられていました。
日本では殺人等の重い罪を犯した場合、裁判の判決によっては死刑もやむを得ないとする考え方が一般的となっています。
しかし世界には194の国と地域がございますが、そのうち死刑制度を採用している国は、42か国に過ぎません。残りの152か国は制度が無いもしくは、制度は存在しても、死刑を執行していない国々です。また先進国で死刑制度が残っている国は日本とアメリカの2か国のみとなります。
つまり日本は世界的にみて少数派にあたります。
やはり日本では終戦後のアメリカに大きな影響を受けてしまっているのかもしれませんね。なぜなら日本ほどの宗教性の高い国が、死刑制度を生み出すとは到底考えられないからです。
ここまでのお話の流れでお分かりかと思いますが、
死刑制度はスピリチュアル的にみても、容認できるものではないと考えています。
それではなぜスピリチュアル的にみて問題なのでしょうか?
私は大きく2つあると考えています。
①残虐な事件を他人事として、捉えてしまう危険性
②この世に恨みを持ち続ける未浄化霊を生み出す危険性
1つ目は、事件を他人事として、捉えてしまう危険性があるということです。
皆さんは暗いニュースを聞いたときに、何を思いますでしょうか?
事件を起こした犯人に対して、「ひどい奴だ!そんな奴は死刑にしてしまえ!」
と怒りの感情が湧くでしょうか。
または事件の被害者に対して、「かわいそうになぁ。。。」
と同情するでしょうか。
もちろんこう考えるのが普通ですし、当然のことかと思います。
しかしこれだけで終わってしまえば、残念ながら何の解決にもなりません。
そもそもスピリチュアル的に考えると、この世に生まれたばかりの赤ちゃんの魂は、みんな神聖で高貴なものです。
生まれながらに殺人犯はいない訳です。
これを踏まえると、犯罪を犯した人間だけでなくそれ以上に、犯罪者を生み出してしまった環境や社会構造に目を向けなくてはいけません。
ひいては今の時代に生きる私たちが、この社会を作り出していることに注目しなくてはいけないのです。
それにも関わらず、死刑を執行することである意味解決してしまったかのような、雰囲気を感じてしまいます。全国民がニュースを見るときに、自分事として考えることで初めて、二度と過ちを繰り返さないという対策の意識につながるのではないでしょうか。
2つ目は、死刑を執行された死刑囚がこの世に恨みを持ったまま死んでいくことで、浄化できず同じ波長をもった人間に憑依する危険性があるという事です。
こちらは完全にスピリチュアル的な理由ですね。
過去に殺人を犯し、恨みを持って死んだ魂は憑依すると、同じように事件を起こす可能性が高いです。
生きているときに考えを改めさせて、社会への恨みを払拭させることが重要なのです。
もちろん死刑制度については、色々な考え方があるかと思いますし、私の言うことが必ずしも正しいとは限りません。
しかし、犯罪を犯した人間だけを非難して終わるのではなく、そんな人間を作り出した社会に目を向けるという視点を忘れてはいけないと私は思います。
皆さんも是非一度考えてみてください。